ゆれる

長めに喋る事〜!

surface / inside【五十嵐望】

 


ある時点で、沈んでゆく自分とそれを傍観している自分とが同時に存在していて、その異時同図の中ではいつだって見つめている方の自分が本当の自分であると確信を持っているのに、反して真実の肉体はいつも見られている側であった。上空から見下ろしている筈が体は深く沈んでいく、そんな精神と肉体の乖離のようなものをずっと昔から抱えているのだけれどそれを誰かに明かした事はこれまでない。

 


ステージの楽屋で変わらず結城すばる、吉良かなた、香澄朝陽とパフォーマンス内容について話し、ケータリングを口に運んでいる時にメタ認知している方の自分が突然に『今日は何か特別な事が起こる』と察知した。この時も肉体は間断なくサニーレタスをもぐもぐとしていたが、天からの啓示とも取れるこの予感に体側に残っている感覚達も期待を持って来たる何かに対する準備を始めた。

 


その日のステージは本当に特別なものとなった。精神と肉体が離れている自分は、実は歌い踊っている間は二つを結ぶ事ができる、これでも一応完全に分離するのは怖かったりする。だからこそアイドルという職を続けている訳だけど。どのように特別かと説明すると、まず客席が全員色とりどりの花畑になっていた。花の種類に明るい訳ではないが軽く見渡すだけでもチューリップ、ガーベラ、カーネーション、百合、ひまわりなど一般的で見てすぐに花と分かる花があり、そのほかは種類は定かでない花で埋め尽くされていた。人が居るべき場所、きっと人が居るのだろう場所だが自分には花が見えていた。不思議と動揺はなく、パフォーマンスはいつも通り滞りなく進んだ。そんなふうに目や感覚がやけに冴えた日であったから、後方で関係者席に途中入場している人物がいるのも簡単に分かった。虹野ゆめであった。

 


衣装替えの為に一旦下がり、客席には前撮りしてあったVTRが流れている。四人とも肩でしている息を整えながらそれぞれの次の衣装をスタッフから受け取り早々と着替え始める。

「ゆめちゃん、来てたね」

着替え終えて再登場までのわずかな間に結城すばるに向かって呟く。こちらを一瞥した結城すばるは「そうだな」と返して前方を見つめている。気にしていないことを装おうとする様子が可笑しくていやらしい笑みを我慢するのに骨を折った。次の登場の際にアドリブで振りを入れてみたが、結城すばるは動揺を見せず即座に呼応するような動きを見せた。この男の妙はこういうところだ。


近頃、正直が過ぎるメンバー達の淡い好意の向かう先は明らかであり、自分は埒外だった。それらしいパフォーマンスをして見せても自分同士が離れている為か薄っぺらなものしか生まれないのだ。不思議とそれを悲しく思ったり、劣等を抱いた事はない。自分はそういう人間なのだから。


「お前があんなアドリブかますなんて珍しいな、なんかあったのか?」

大盛況のコンサート、セットリストを消化し終えて花達の前から袖に消えた後直ぐの結城すばるはまた気にしてないを装い、軽く聞こえるように聞いてきた。


「んー、今日のコンサートは特別だったからね。ちょっとだけ羽目を外してみたくなった」

「ふーん、何か特別なことあったか?」

「すばるくんには分からないかもね」

「なんだそりゃ」


当てが外れたとでも言うように興味が失せたらしい彼は衣装を脱ぎながら楽屋へ向かい出した。きっとこの後楽屋には虹野ゆめが訪れるのだろう。ステージを終えた為か、自分同士が分かれ始めるのを感じていた。


その後予想通り虹野ゆめは楽屋へ挨拶に来たので、それぞれ一言二言言葉を交わし、結城すばると虹野ゆめを残して三人で別室へ移動した。吉良かなたと香澄朝陽のいかにもなお膳立てには笑えた。別室で身支度を整えその二人とも分かれたが、もちろんまだ帰る気はなかった。今日を特別にする為に。


誘蛾灯が近くにあり、光に近づく羽虫を片っ端からバチバチと蹴散らしているのを見つめていた。日と肉体が共に沈んでゆく、一方で浮遊した精神側は少し高揚している。肉体側で強く手綱を握っていないと本当に分裂してしまいそうな程、乖離幅が育っている。精神側が完全に切り離されたとき、どうなるのか興味はあるがまだ試す時ではないと言っている。きっとおそらく他者と異なる自分だが、これでも自分というものに愛着があるのは事実で、物語の主人公然とした破滅や崩壊の願望を持っている訳でははない。


結城すばるは正しく真っ当に確かにプロである。期待を裏切らず虹野ゆめとは別れそれぞれ帰路につこうとしていた。待たせている車へ向かおうとする虹野ゆめに向かって歩き出した。


「ゆめちゃん、」

「望くん!」

「今日は観に来てくれてありがとう」

「先に帰っちゃったのかと思ってたよ〜、さっすがM4!って感じで今日もすごいステージだったよ」

必要以上に大きな声と笑顔の惜しみなさが眩しくて、夕暮れなのに目がくらみそうになる。結城すばるが好意を寄せるのが納得できるほどに彼女は素直そのものだ。いつも少し異端で埒外であった自分とて、そういった心情に対する興味は持ち合わせている。


「ゆめちゃんはすばるくんの事、ライバルって言ってたけど、僕はどうかな?」

「うぇ?」

「んー、実は僕もゆめちゃんのライバルになりたかったりして、」

見開いた目のなんと大きく丸いことか。例えに使われがちなアーモンドなんかよりももっと正円に近い瞳とそれを縁取る太い睫。頰の形と夕焼けに透ける産毛は完璧なベイビーフェイス。首をかしげると量の多い髪がそれにならって揺れる。高く束ねたウェービーヘアの隙間からも美しい夕日が透けていて元々のグラデーションをより美しく仕立て上げている。

 


「うーん、望くんともライバル、わたしはもちろんなりたいんだけどなー、でも、望くんはほんとはそう思ってないでしょ」

浮遊した自分が沈んだ肉体に突然連れ戻されるようだった。


「…そんなことないよ」

「なーんだ!勘違いだったかぁ。ごめんね、じゃあ、今日からライバル!よろしくね」

動揺をひた隠しにしてなんとか作った笑顔には、虹野ゆめの瞳は透明すぎた。何の思惑もなく差し出された手を握り返すのが精一杯で、その後どうやって別れたのかあまり覚えていない。


これまで俯瞰して物事を見続けて来た自分は、自己以外の多くの「他」をいささか甘く見てきた事になるのかもしれない。虹野ゆめの透明さはこちら側をそのまま映し出す澄んだ湖面のようであった。無自覚で、未発達でそれゆえ残酷だ。共演した際にそこまでを悟れなかった自分は一体彼女の何を見ていたのか。

結城すばるや虹野ゆめの持つ愚直とも言える真っ直ぐさはあいにく自分にはない。正直に言うと自分には眩しすぎる。それでも、多少屈折した自分でも二人に並び立てると証明したくて仕方がなくなった。今日のところは誘蛾灯にやられた羽虫のように完敗だが、きっといつか斜に構えた自分のままで彼らを捉える事ができるという根拠のない自信が既に生まれていた。


「正統派王子は意外と熱血ストレート」

皮肉にも程があると思っていた自分の名乗り口上が真に板についたようだった。足取り軽く、長く待たせ過ぎていた車へと歩き出した。運転手には詫びねばならないが、天からの啓示の通りに今日という日が一等特別な日となった。明日、一輪挿しの花瓶と共に花屋で一番に目についた花を買おう。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

五十嵐望のゆめさんへの矢印を曲解した結果ですね!!!!

読んでくださってありがとうございます。