ゆれる

長めに喋る事〜!

適切な関係、適切な姿勢

 

わーい!

本日4/17に椎名林檎さんのライブに行ってきました。あまりの良さに不思議な感覚でふわふわの頭のまんまに帰宅して、セトリのプレイリストを作り、今こうしてブログにしていますが、一番痛感したのは生でパフォーマンスが行われることの影響力表現者とはかくあるべきという気概と振る舞いだなぁ〜と…。

 

行くにあたってセルフカバーアルバムの「逆輸入」を聞き、「少女ロボット」とかなつかしいな〜!「おいしい季節」も栗山千明さんに提供してた曲だけどやっぱり曲調が椎名林檎過ぎて、たしか東京事変のいつかのライブで歌ってくれて、林檎さんの歌ってるやつがいいなぁ〜って思ってたから音源化されて良かったな〜などいろいろ思っていたんですけど。昔から好きな人の歌声って気持ちを当時に戻させる力があるんですよね多分。ここ最近はずっとアイドルを追いかけているので林檎さんへのお熱は鎮火していて、だけど結局今でもずっと好きな事には変わりがなくて、特に大きく変化せず私の根底でずっと好きで居続けるものっていうような存在?になっていて。

 

元々なんでか小学生から林檎さんの事を好きで、その時は東京事変デビューの頃だったので東京事変を中心に聞いていましたが、中学生に上がると林檎さんの過去の曲を聞くようになりました。私がテストで良い順位だったらCDを買ってもらう約束をして買ってもらった「勝訴ストリップ」。なぜか2ndの方を先に手にしているんですけど…笑

今回は2ndアルバムの中から「ギブス」「弁解ドビュッシー」「浴室」を歌ってくれて…一緒に行く友人からは「逆輸入」の曲をたくさん歌うよって事は聞いていたのですが、そのほかのセトリは見ずに赴いたのでとにかく驚きが止まらなくて!

中学生の頃に買ってもらった思い出も一緒に蘇るし、まさか2018年で私も二十代半ばに差し掛かったこの時に、思春期を共に過ごした音楽を生で聴けるだなんて思わないじゃないですか。

あまりの可愛さに負けてライブグッズのタオルを買ったのですが、結果的には涙を拭うものとして存分に活躍してもらいました。

 

「ギブス」から立て続けに、「意識」がやってきた事も衝撃的すぎて…。カップリングなどのマイナー曲を集めたアルバム「私と放電」のDisk2に入ってるのですが、これは大学生の頃にたくさん聞いていて、このアルバムの中では一番好きな曲であったので驚き慄いてしまって、ほんとうに、マジで、たじろいだと言うか数歩後ろに下がってしまいました。漫画かよ〜って自分で思ったんですけれど。笑

「お母様、混紡の僕を恥ぢてゐらっしゃいますか」という最高に厨二心くすぐる歌詞。

「嘘ヲ吐クナヨ」

う↑そ→⤵︎つ→く→な⤴︎よ→→

この上下の振られ加減?もうくせになるわけなんですけど、今回のアレンジはリズムが早かったのでサラッとしてるけれど低めの声でゾクゾク〜〜ってしてしまいました。

 

きっと一曲ずつ書いてると本当にとめどないので要素ごとにまとめて書こう…。

 

まず、今回バックのスクリーンに映される映像が本当に秀逸でした。「色恋沙汰」ではネオンのようなテキスト(英語だったので言葉自体は忘れました笑)が絶妙な位置にずっと置かれていて、ピンクに光っている。その後ろを広大な海を空からヘリで撮ったと思われる映像、寄せ返す波打ち際の様子、大地を走る馬、などをうつしていて、なんだかめちゃくちゃ画質が良くってフォントが居る位置も構図として本当に絶妙に良く、見ていて気持ちが良すぎてこの映像くださいって思った。

歌詞の「空深く雲黙らせ海の肌撫で付けてる」にぴったり過ぎるし、世界と出くわそうとしてるし、ダイナミズムを感じずにはいられない。シルクのように滑り流れるような曲調ともマッチしすぎてて、こうもいろんなものが合致しまくっていると見て聞いている事が本当に心地が良いので一種の麻薬的な効果を感じてクラクラしてしまうのは私だけなんだろうか?!

あと映像が良かったのは同じ構成の「JL005便で」。これは英語の曲なので林檎さんライブお得意の、縦書きで日本語歌詞が流れる仕様だったのですが、「色恋沙汰」同様に映像がめちゃくちゃ良いので目が足りない状態でした。もちろん林檎さん本人も見なきゃですからね?!

こちらもフォントが同様の良い位置に居座っていて、乳白色の雲の中をゆく映像…。曲のブワッて広がる部分にはしっかり合わせてワッと吹き出すようなグラフィックのモーションがあるんですよね…。(語彙力のなさ)ダンスの音ハメ的なやつ。憎いですね。

「JL005便で」はアルバム「日出処」に収録されているんですが、このアルバムは比較的最近のもので私的には全然聞き込んでないので知ってる程度だったんですけど、日本語訳を見ているとこんなにも熱がこもっていて、何かに手を伸ばし続けているような曲だったんだなぁと知ってしまいました。英語の歌詞だと瞬時に脳が諦めるのでそれは良くない事ですね。ただ自分で訳すと教科書文にしかならないので悲しい〜!

若さゆえの熱と揺らぎと瞬間的な心地よさを優先してしまうのが愚かしいと分かってはいる、そんな曲でした。素晴らしい…泣  

 

あとは「浴室」の時に赤いライトとともに赤い線や四角などのグラフィックがぐるぐるしていたのも良かったし、「意識」の時は曲が始まる前にライトが全部消えて無音状態でスクリーンに四角い白枠とでかでかとした「意識」の文字が現れ、その次の瞬間に「頭が〜あれば〜」と始まったので感情がブワァ〜と湧き上がりましたし、縦書きスクリーンには赤のドット字で歌詞が流れまくっててかっこいいでしかなーい!!!間奏の時は(オルガン)(オルガン)(オルガン)って流れてて笑いそうになったけど。

「眩暈」では黒い背景に燃える紙と吹き出すような赤い火の粉が曲から漂う寂寥を余計に強くするようで。ほんと何というか映像が秀逸過ぎてパフォーマンスの良さを助長させまくっていたのでこんなに上手い映像の使い方を見たのは久しぶりでした。

 

次に、セトリにストーリー性があり、衣装も伴っていてその点はとても分かりやすかったです。

「人生は思い通り」から始まり「人生は夢だらけ」で終わる。その間に失恋があって髪の毛を切って寂寥があって自己への逆襲があって「孤独のあかつき」に自由を手にするような流れでした。ん〜分かりやすい!優しい!

最初はロングスカートのワンピースドレス。そこから振袖の羽織を羽織っていてちょっとたるーんとした気怠げな雰囲気。そのあとは大胆に露出した光沢感のある生地のライトグリーンのサロペット(多分)。上半身はチューブトップでウエストが背中でしばる感じで、ショートパンツだったと思うんですけど…。あとものすごーい高い黒のピンヒール!そのセクスウィーな装いで薄ら氷心中」「暗夜の心中立てと心中2連チャン。

開いて立てた番傘の後ろにしゃがみ込んで退場という謎な粋仕様でした。この際どい衣装と番傘って戦国無双の衣装チェンジした阿国さんみたいだなぁって一人で思ってました。

髪の毛をジョキジョキ切る映像の後に出てきた林檎さんはウィッグ取ってショートヘアに。大きめのオーバーサイズ謎アウターに白Tシャツとジーンズというカジュアルな装い。アウターの柄と形からアウトローな雰囲気がありました。

「重金属の女」からはアウターを脱いで白Tとパンツにギター装備でシンプルにかっこいい女って感じで…逆襲と孤独のあかつきに自由を手に入れて高らかに「人生は夢だらけ」と歌いきって退場。

アンコールはシンプルなくすんだような紫色のお着物に黒い羽織。着物にギターってなぜあんなにかっこいいんだろうな?あと履物が踵の方が高くなっててちょっとシルバーかゴールドみがあっておしゃれでした…♡

 

私、こんなにも明確に衣装とその流れを記憶してる事がめちゃくちゃ珍しいので本当に今回特別だったんだなぁって思えてならない…。

でもこの一度のライブで昔のちょっぴり人とは違うぞっていうふしだらな雰囲気、かなり大人な内容を大胆にオーケストラでドラマチックに仕立て上げた豪奢さ、シンプルなロックスタイル、日本みをふんだんに盛り込みつつスタイリッシュにギター鳴らす最近の感じ(?)も全部網羅しててなんかこれまでの椎名林檎ってのを一連の流れとして見られた気がします。だからかな、こんなに満足感があるのは。

 

あと冒頭に書いた、「生で目の前で披露されることの影響力」ですが、近頃アイドルの現場ばかり行っていたので発展途上の魅力、伸び代の楽しみを生で見ながら体感する事は存分に触れていました。

しかし、10代からずっと音楽と表現の生活を続けている人物が試行錯誤を凝らした末に繰り出される芸というもののあまりの完成度の高さと満足感に久々に触れて感服するしかなかった…。歌い方ひとつとっても同じ人物からいろんな色の歌声が聞こえてくるので耳を疑うというか。CDで聞いていたのに、目の前でCDとほぼ違わぬ歌声が、時に掠れや溜め、リズムをずらしたりなど持てる技術(?)をばかすかやってくる訳で、楽器さながらというか、思い通りになんでもできてしまうのかとちょっと怖くなったり。

J=Jのさゆきさんやかりんちゃんさんも自分が歌いたいように声を操れるので、彼女らがずっと音楽を続ければどうなるんだろうってちょっと思い馳せたりしました。

林檎さんは一般的に歌の上手い人というよりも特徴的な声の人ってイメージですけど…マジでCDとほぼ一緒で途中であれ?ってなるところはひとつもなくて、気持ちが途切れる事なく最後まで集中し、ピアノ伴奏と歌のみで始まる「人生は夢だらけ」でも堂々とした歌唱を真正面から浴びてもうめちゃくちゃ満足〜〜て感じで。実はそれは当たり前の事かも知れないんですけど。

だからと言ってアイドルを否定しているわけでは勿論なくて、それぞれの役割期待が違うのでそれはそれで。どっちもプロな訳なので。

何かのテレビで林檎さんが、もっと生で皆様にお届けしたいって、音楽はナマモノだからと、言っていたのを見た記憶があるんですが、それを体感したライブでした。

 

冒頭に書いたことのもう一つ。表現者はかくあるべきという気概と振る舞い」について。

パフォーマンス中の林檎さんってこれでもかってくらい気取りに気取っているんですよね…惜しげも無く。とても良いタイミングで音ハメ的に何かポーズするんですけど、ツンとそっぽを向く仕草、衣装のスカートや振袖を使って決めてる様子、寝乱れるように際どい衣装で床に転がりながら歌う、深々とお辞儀した後に着物の羽織を手ではためかせてからくるりと後ろを向いて退場してゆく様、などなど、やる事なす事が全部絵になる、全部決まってるんですよね。昔から思ってたけど。それについては誰かから振りの提案があるのかご自身で考えてるのかは分からないんですけど。

自分の振る舞いも含めて全部がパフォーマンスと思っているからそこも全部完璧にしてるんだろうなぁって思うんです。

それとは対照的に、母とよく行くGLAYのライブでは完全にホームという扱いでお客さんも家族っていう雰囲気なので全く気取らず自然体で言いたい事をしてやりたいように動いてるんだな〜〜っていうのが伝わってきて朗らかな気持ちになるのですが、林檎さんはむしろ自然体な部分を極力削ってライブの芸術性を高めようとしてるんだろうなと…。MCもなかったし。どっちを取るかというのはその人次第だからどちらが良いというのは言えませんけれど。

 

また、昔の曲もバシバシ歌うというのはどういう心境なのか。これは長年何かを作り続けてる人は全員該当しますが、10代20代に作ったものをその後もずっと見せ続けられるということはとても凄い事です。絵でも何でも、昔のものというだけで当たり前に、何かしらが今より拙いはずですから。

受容する側からするときっといつの時のものでも価値があり、拙い印象は受けなかったり今のものと比べても見劣りしないという場合もあるけれど、作った側からするとどうか。

私自身の事で考えると絵や文などが該当するけれど、当たり前に拙く恥じらいの対象であるわけで。その反面今の自分への軌跡として愛したり、その時持てる武器で挑んで出来たものだからこその価値、逆に今ならこんなふうには出来上がらないなぁという気持ちもあるだろうし、出来こそ不恰好だけどやろうとしてる事はわかる、表したい事はめっちゃ良い、とか、いろんな愛着があって。

 

それがプロで、さらに歌となると、実は何か恥じらいがあったとしても自信満々で圧倒的なのが当たり前で。真実は人それぞれで分からないけれど、昔のものを今も見せ続けてくれる事はとにかく凄くてありがたい事なんだなぁと思いました。プロの音楽や文章、絵、映像というものは一度作って世に出すと収拾がつかないというか、やっぱり無しで!ってできないものだから、実はめちゃくちゃ失敗してるものや納得していないものがあるかもしれなくて、でも一度出して仕舞えばずっと自分の作品として並び立てられ続けるもので、それは辛いかもしれない。想像でしなかいけど。

 

いつでも自分が作ったものには自信を持っていたいし、何年経っても人に見せられるものが作れたらそれほど素敵な事はありませんよね。

私が小学生の頃からずっと音楽を届け続けてくれる人の素晴らしさを改めて実感しました。また、表現者としての力量というものは歳を重ねるほどに積もっていくのかもしれないので、私が好きな表現者の人たちにはずっと作る事を続けて欲しいと思います。今好きな人たちがもっと技術や経験を重ねた先に作るものが見られる事が楽しみでなりません。だからそのためにお金を落としたり評価をしたり、作ってくれたものを愛でたり、そのような営みを芸術と呼ぶのかもしれません。

 

なんかもう謎に壮大な感じになってしまったんですけど、とにかく椎名林檎ちゃんのライブがめちゃくちゃ良かったでーーーす!!!って事!

あとコンビニで買ったサントリーの赤紅茶がおいしかった!!!最近あらゆるお茶がすき!!!冒頭に本日って書いたけど長々と書いてたら日付変わってしまった…!

 

終わり!

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