ゆれる

長めに喋る事〜!

明日目覚めた時突然綺麗にならないかな

 

めちゃくちゃ久しぶりにブログ書くな。時間が過ぎていくのが早すぎて気づけばそれはいつものことなのですけど。今回は美容に関して近頃で思ったことを書いていきます。

 

美容というジャンルは冗談じゃなく奥深く追求すれば際限がない。当然人によって求める基準が異なりそれぞれの着地をしているのだろうけれども、科学の進歩と同じくして美容についても日々技術やその効果は進化し、また様々な情報がSNSによって流れては過ぎていく。思い返せば自分が学生の頃はTwitterには美容垢なるものも見かけず(もしかしたら存在はしてたのかもしれないけど)どうやって情報を得ていたのか全く分からないし記憶にもない。安野モヨコ先生の美人画報を読んでいたのは覚えてる。

情報イズパワーなので情報量が多い今の時代に生きるのはかなりメリットが多く幸せなことだと思う。その分フェイクとかいらん情報も多いけども騙されなければメリットの方が多い。私だって紫外線がヤバいってちゃんと知っていたら小学生の時の水泳も張り切って夏休みを追加練習に費やしはしなかったし、中学生の時には野外で走り回る陸上部には絶対に入らなかったろう。

過ぎたことは仕方がないとしても、こうしてアラサー辺りまでにSNSが美容情報で溢れ、その恩恵を受け取れているのは幸福なことと思う。私と妹が高校時代ほぼ同じ身長なのに丈を短く切った同じスカートをはいていても妹だけが注意を受けた理由も骨格タイプの差が原因だと今になって理解できた。(妹はストレート、私はウェーブ)

 

美容関連は本当に手間もコストもかかるので各々の希望や興味関心の度合いで折り合いをつけて付き合っていくものとなってるのかなと。

私なんて小市民でさらにオタクというライフワークを抱えているために収支バランスもソシャゲPUの具合や推しグッズ発売予定によって結構左右されるわけだけど、でもやはり美容に関連する何かに対して対価を払うことは心地よくあるのだよね。

 

今より若い時分は何よりも服!靴!アクセサリー!みたいな感じだったのに、今やスキンケア!安眠!QOL!みたいな優先順位にすっかり入れ替わっている。今の迷いは高いスキンケア用品をラインで買うかいっそのことレーザー治療で肌質改善を狙うかなど。諸事情あり貯金しなければならない状況なのに年末頃からFGOくんの私向けガチャPU、私向けイベントが立て続けに舞い込み思わず課金するなど、(それはそれで感謝してるからいいんだけども!)財布の紐の緩み具合がひどく自分でも反省せねばと思うこのごろ。

 

何が書きたいのかと言うと、そうして美容関連のあれこれをするのは楽しくもあるけども他種多様なあれこれのハードルが下がり誰でも手を伸ばせるようになった結果、世の女性の美容にかける平均点が上がってるのを感じるということ。

髪の毛、脱毛、エステ、小顔矯正、アイラッシュ(まつげ)、アートメイク(まゆげ)、ネイル、歯列矯正、美容整形etc。いやほんとに多い。この間まで誰も爪にオイルなんて塗ってなかったと思うのにハッと自分の手を見た時に、うわっ爪カピカピなってる縦筋すごい!かわいそう!って思う自分のその気づきすらマジかと思う。爪が乾燥していたからなんやと言うのや。健康な強い爪がいいのも爪に気を遣わないとネイルベットが短くなるのもなるほど分かる。分かるんだけどそんな細かい事を気にするようになったのはいつからだったろう。ネイルだけにとどまらず、そういう美容に関するいろいろな事の「気になる範囲」が広くなっているのを日々感じる。もちろん、何か手を尽くしたりケアをした結果の良い状態を経験するとそれより悪化した状態が心地が良くなくなるのは当然のことで、ケアする箇所が増えれば増えるほど気にかける箇所も気づくことも増えていく。

 

それに伴うメリットデメリットの両方があるけども、他人のことも見られるようになるメリットが大きいと個人的に思う。人が何に注力しているかがおおよそ分かるようになる。世の綺麗なものはだいたい手がかけられているので、髪の毛が綺麗とか手が綺麗とかそういう状態のための努力を思ってなんだか泣きたくなってくる。髪の毛が毛先まで潤ってるしスタイリングも上手だし髪の毛のお手入れをしっかりしてる人なんだなぁ素敵だなぁとか、綺麗なセパレートまつげで横から見ても長さも量もあってくりんと美しいなぁまつ育とまつパをしてはる人なんだろうなぁ素晴らしいなぁとか、指先にさかむけのひとつもなく手の甲もつやつやでこれぞ珠のお手手というやつでは…ネイルも品があってよろしおすなぁとか、眉の書き方やアイメイクがなんだか他の人と違っていて強めに色がのっているのに濃い印象を与えないしこれは一体どういう仕組み?この人のこれこのアイメイクこそがまさに化粧のうまさというものを体現しているのではないかとか、そういう良いなぁの着眼点がどんどん増えてきている。美容の手立てがあればある程、自分がそれを知れば知るほど、やっている人を見つけることができるようになる。気にかけていろいろやってる側としては、その努力に気付いてもらえて嬉しい時と気恥ずかしいから気づかれたくなかった時のどちらも存在するのも面白い。物によるところが大きいけども。

ただ、その、小さなあれこれでも気にして良い状態にしようとする精神やその活動やその継続がとても可憐というか、いつもそうしてくれていてありがとうねという気持ちが生まれてくる。

そうすると趣味が美容の人は本当に最強なのですが、大多数の人はそれ以外にも趣味を持っていたりそもそもそこまで美容に興味を持っていない人もいる。それでもやっぱり各々自分が許容できる範囲のコストを払ってなんらかの美容的措置、テコ入れをしているのですよね。社会的に女性である限り一定水準の美容を余儀なくされるというか、してて当たり前みたいな謎の圧力も実際あってですね、美容関連の手段が増えれば増えるほど平均的に求められる美容水準も徐々に上がっていっていると肌で感じています。脱毛をしておりまつエクもしくはまつパをしておりネイルも髪の毛も綺麗を保っている、こんな人たちがどれだけコストをかけて綺麗を保っているのかを考えてみて欲しいしそれが普通だと思わないで欲しい。誰かのためであったり他ならぬ自分のためであるかは人によって違うだろうけども、その美意識に感謝をと、思考が美容に至ったときには勝手に思っています。

 

その反面、美容が別に好きでもない人のことを思うと、平均値が上がっているぶんその人たちに強いられるボーダーとか圧みたいなものが過去より増しているのかもしれないと思うとそれもそれでなんとも言い難い気持ちになる。正直私も同人活動をしていた時の原稿中などは美容も健康も二の次で締め切りに間に合うかどうかの瀬戸際勝負をしており、無事に入稿できて仕上がった本を手に取った時には他では代替し難い達成感と喜びがあった。プロでなくとも発行物は作れるという産みの喜び。そういう、何か夢中になれるものがありそれを追う人はたとえ美容関連に手をかけていなくたって生き生きしていて素敵に見える。

ただ美容が広がり進歩してゆくごとになんとなく求められる平均値みたいなものが上がり、興味がない人でもそれなりに気を遣わなくてはならなくなるのはなんとなく悲しい、もちろん楽しさや喜びを感じながらやる場合は大いに良いのです、しかしメンタルにしろ体調にしろ環境にしろそれどころじゃない時もあり、しかもそういう時に限って「それって女としてどうなん」みたいなこと言われたりするじゃないですか。うっせぇわと。おまえが(ここは男女関係なく)求める美容ラインをこちらに押しつけてくるのはやめろと。普段美容についてあれこれするのが割と好きな私でもそう思うのに、好きでもないけどやらざるを得ないと思っている人にとってはうっせぇうっせぇうっせぇわぐらいになるのではないかと思うんですね。

 

美意識高い人がどんどん美しくなってゆくのは必然ですし、逆に美容にあまり興味ない人と差が開くのも必然です。しかして、やはり目立ったり目につくのは美しい人たちです、だからと言ってそれが平均的とは思わないようにしたい、そういう人たちを平均的女子像にする事でその人たちの美容に対する努力も軽んじてしまうことになる。YouTubeの広告での「えっ脱毛してないの〜?!」みたいなセリフの不快さたるや…。別に脱毛してなくたってええやん。何が悪いねんと言いたい。

 

そしてここまでつらつらと「他人に自分基準の美容を強要すること、平均値の女の子像を勝手に作らないこと」を書いてきましたけど、自分ごととして考えると途端に許せないことがたくさんあるのも不思議なことだなと。それは自分がある程度美容への関心があり、自分の中で他より優先すべきものと位置付けがあるからに他ならないのですけど、他者に対しては寛容でいられるのに自分だともう許されへんこともあるのですよね。

そういうののバランスがその人にとっての美容の個性であって話し合ったりしたら面白そうだなとは思うんですよね。元の体質や自分の持っているパーツの性質上特定のケアの優先度が上がることもあるだろう。その個性全般に合わせた最適解のケアを個々人が模索しつつ施していることが当たり前なんだけどなんかすごいなと漠然と思うわけです。

 

私は学生時代に左足を負傷しているので足を冷やさぬよう注意しないといけないのですが、冬は本当に寒さから筋肉や筋に力が入りピキピキとなって困ってしまう。なるべくお湯を張って湯船につかるようにしていて、半身浴しながら読書したりスピーカーで音楽流しながらマッサージしたりしているとなんかこれってめっちゃオサレというか美容に気を遣ってる人みたいではない?!と思って楽しくなってくる。いつもはお風呂のフタを半分くらいしてそのフタの上にタオルを敷いて本や水を置いているのですが、こうも風呂時間が長いのならばより映えてテンション上がるバスタイムにしたろと思いSNSでよく見るバスタブに引っ掛けるオサレな物置(本とかスマホとか飲み物が置ける)を通販サイトで見てみるも、これでは湯気が全部上がってきて本がフニャフニャになってしまうし湯船の保温のホの字もなくない?!と実用性の面で採用を断念したところ。なんか考え方がケチくさくてオモロなんですが映えと機能性てマッチしないものよなぁと。文字面では半身浴読書とかめっちゃ生活水準高そう〜な感じなんですけど現実は普通に風呂で本読んでるだけだし、なんなら本に夢中になってるあいだに飲み水もなくなり湯も冷めてヤバいことになったりする。

 

VIOの脱毛にしてもなぜこんな体のつくり的に無理めな姿勢で処理しなければならない?!と思うし絶対誰にも見せられないし、片付けが苦手な私が毎日ストレッチするためにヨガマットも万年床のように敷かれ続けているし…。美容のためのあれこれってそれ自体は別に美しいわけではないのよな。当たり前に。いや、人によってはそういう努力すら美しい場合もあるかもしれないですが、芸能人と一部の美容モンスターだけだと信じたいよ。

 

中身は10歳なのにガワがアラサーを迎えて体のあらゆる部分が急変していくのを日々感じますが、それでもこれまで施してきた、現状施している様々な手立ての結果として現状にとどまっているのだと思いたい。美容技術の進歩と美容を気にする人達の不断の努力によってイマドキの人たちは年齢よりも若く見える人が多いのでしょう。そして今のティーン世代(これってきっと死語なんだろうけど他の表現を知らない)がアラサーになる頃にはもっと進んでいるんだろう。私がまだ義務教育受けていた頃くらいにはじめて「アンチエイジング」という言葉を聞くようになり、その時はなんだか仰々しくて何かものごっついことを施して老化を止めようとしているみたいな印象を受けたし周りも「年相応に老いていくのにあらがうなんて必死すぎ」みたいな受け止め方だった気がするのに、今やむしろエイジングケアの表記は絶対あって欲しいものなんですよね。アツい手のひら返しだな…。

ま、これからもその時々の自分が金銭的に手が伸びる範囲で美容に関するあれこれをやっていくのだろうなと思うので無理なくがんばっていきまっしょいなんだよなぁ。

 

某舞台俳優のインスタ投稿で加工アプリで撮影した自分と鏡に映る自分の乖離だとか、それを自覚しているのにやめようとしないことへの自虐の気持ちが綴られていて、その気持ち自体ものすごくわかるし、考えすぎてしまう人間ほど自分を客観視して情けなく感じるものだけど、Twitterで流れてきたツイートの「写真くらい盛らせろ」っていうシンプルで力強い気持ちも本当に分かるので複雑ですわよね。加工写真と現物の変わらなさが価値基準のひとつになるのも今の時代らしい観点で面白いなぁと思う。今後またその反対として素の自分でいこうアンチ加工写メみたいな勢力も生まれそうだしワクワクですよね。SF好きゆえに好きな小説内での「肉体を捨ててバーチャル上の精神活動だけが人間の営みになった世界」では見た目が自由にオーダーできる、まさにアバターなわけですが、そうして見た目を元の自分とは全く別物にしてしまう人のことを揶揄する側もいた、みたいな妙なリアルさが面白くて、それが今の加工アプリ事情の延長線上の先の先の先の方にあるのかもしれないななんて一人で思ってワクワクしているのでした。攻殻機動隊もそうじゃん?!

 

長い上に最終的に美容に全く関係ないところまで話が及んでしまいましたが、一人でこういうとりとめのないことをぐるぐる考えているのが私なんですよね。難儀な生き物だね!とりあえずあゆみんが使ってて弦月くんもおすすめしてたランコムの美容液買いに行きたい!乙女、美容液に感動!したい。

終わり。