ゆれる

長めに喋る事〜!

スッキリしたいがための心情整理

 

人間関係No wayway とはよく言ったもので、経済的に脅かされていない状態においては、気を揉むのはおおかた人間関係についてなのだよな。

 

自分一人で生きていれば発生し得ないけれど「一人で生きられそう」は「そう」であって、完全に一人で生きられるわけではない。恋愛だけにとどまらず、先輩、友達、他人とSNS、そこにはそれぞれに種類の異なるまたは同質の良さとストレスが分かれて存在していたり枠を超えて横たえていたりして。

自分一人であれこれする分に対しては自己理解がある程度あれば問題なく進めていけるのよね。他人との交流や接触が介在するだけで掴みかけていた自分像みたいなものを簡単に見失ってしまう。化学反応や物理法則の実験のように何度も条件を変えて試行錯誤しているつもりになってしまう。反応は自分側と相手側の二種類がある。人と人の関わり合いにおいて同じ条件を揃えることは不可能に近いだろうから毎回結果が変わるのは自明の理なんだけど。その毎回の試行ごとに自分側の感情の差が驚くほどあるものだから、もう単純にびっくりしてしまうんだな。相手側のことはわからないので知らん。このように人間関係のさまざまを行うことを自分の中で人間関係チャレンジと呼んでいるんですが。

 

自分の体調やメンタルの調子で左右されるのはままあるだろう。ただでも同じわたしという人間なのにぶつける人、ぶつける時期、ぶつけ方等によって自分の反応がここまで変わるということがちょっと恐ろしいんだよ。別に考えなくてもごく当たり前のことなんだけど。それこそ自明の理なんだけど。

基本的に把握厨なところがあって感情も行動も制御下に置きたい気持ちが強いので、他者と接したときの自分の反応が予想外であればあるほど自分の中の違和感が強くてその行動や感情丸ごと認めたくなくなってしまう。これまでの私はこういうことしない、とか、こういう感情を抱かない、とか。

でもぶつかる人や時期によっては本当に未知の反応はあり得るので、これまでの自分との乖離現象にものすごく苦しむ。それでいてライトに「まぁ今はそういう気分なんだからいいんとちゃう?」みたいな楽天的な自分も普通に存在しているので、未知の自分、葛藤している自分、楽天的な自分、それら全て俯瞰している自分、など幾重にも自分が生まれ、その時々で主となるのがどの自分かによってもまた…行動や…考えが…変わっていくので……とても疲れる。

 

これを繰り返しているのが最近の自分で、おそらく世に言うメンブレとは種類が違うのだろうけど、メンタルがブレイクされそうになるのでメンブレと呼ばせて欲しい…。

もっと単純に生きたいのに元々プライド高めで見栄張り完璧主義寄りな性格ゆえに情けない未熟で弱い部分はなるたけ見たくないのに、否が応でもそれらが浮き彫りになってしまうことが人間関係の出来事の中には本当に多くって。矯正できたり次に生かせる内容ならマシなんだけど、プライド高人間の私は「羞恥」への耐性が極端に低くて…自分が「羞恥」であるとみなす事は本当に認めることすらつらいのです。これは羞恥だから認めたくない!そう思って苦しんでるのを俯瞰して、またそれでダダこねてるな〜って鼻で笑いながらめちゃくちゃ虚しくなるのですが、分かっているけど分かっているのに心が拒むのが厄介なんだよ。更に俯瞰してる自分は、これまで認識してきた自分像なんて、「結局はそうであって欲しいだけ」とか「そうありたいと思ってるだけ」なのではないか?その時点で本来の自分とギャップがあるのではないか?だとしたらこうして苦しんでいる事自体が空回りすぎててあまりに滑稽ではないか?とセルフツッコミを入れ始めるんですね。それがね頻発することがイタくて超つらいんです。

 

そういう面倒くさい自分だからこそ、自らが恥と思う事を他者に見られたり気付かれることを恐れていたアルジュナに圧倒的シンパシーを感じてしまった。その部分を知って他者がどう思うかに関わらず(例え好意的に思われたとしても)、その部分を知られているという事実で私が勝手に気に病んでしまう。たにんによわみをにぎられているんだぁ…。(突然のFGOで本当にすまない)

 

一旦素直に自分が希望する事を心のままに書き出してみた結果、本当にわがままで自分本位で他者の気持ちを考えていなさすぎてそれもまた驚いた。私って良いよねと思っていたいのに、頑張って集めてきたその実感の一部が他者とのコミュニケーションによる反応で簡単に崩れてしまう…。こえーよ…。

人と関係しなければ生きていけないのに人と関係するには自分はどうにも未熟で、しかし未熟な部分を認識するのは恐ろしく、未熟な部分で他人を振り回しているかもしれない自分がまた恐ろしい。

前にも書いたけども、途中まで確かにあった気持ちや熱量がふっと消えて次の瞬間には冷淡極まりない事を考えていたりする。自分が冷めた人間であることをこれ以上なく証明されるようでその瞬間冷却現象が本当に恐ろしい。熱しやすく冷めやすい飽き性なのかもしれないけど、けどでも、私のその飽き性に付き合わされ振り回される人は少なからずいるのだろうから…。

 

気のままに他人を振り回しても咎められないような人もいるかもしれないし、仮にそうできたらストレスフリーなのかもしれないけども、私はそうやって自分の思うままに行動し切れず、他者をおざなりにする事に抵抗を感じてしまうからよりおさまりが悪いんだろうなと…。

損得勘定も強めに持っているし、自分本位で自分の目的を達成したいし考える事も冷めている。でも他者を雑に扱うには抵抗がある。それ自体は悪いことではないんだけども…。冷淡なくせに冷たくなりきれないみたいな。

 

こうして気持ちを書き出してみると、結局のところ、

①恥ずかしい(と自分が思っている)事実を認めたくない!という心の拒絶を理解していながら、メタ認知して自分でそれを面白がるしか対処法がなくてつらい(ぴぇん)

②内心比較と損得で選ぶし冷めてるし自分を優先させたいのに、他者を適当に扱う事には心が痛むし、自分が冷酷な人間であると自覚するのは怖い

この二本立てかな……。

 

もうお前一体何の話をしているんだという感じなんですけども、こうして吐き出しておかねば次に進めそうになくて、本当はどうって事ないまさに些事なんですが自分にとってはどうしようもなく大変な事なんです。直感タイプなのに行動には直結せず、脳内でぐるぐる考えすぎて行動し損じるというか…。

 

でも人間関係においてはおそらく情緒面よりも端的に素直に伝える方がきっと解決することは多いのだろうとは思うので、どこまで自分が恥をかいて、または勇気を出して本音を言うかにかかっているのかもしれないよね。人間関係こっわ。

自分のメンタルがもう少し落ち着いて目標にまっすぐ向かえるようになりますように。年齢や肉体の老いなども鑑みるとどうしてもマルチタスク化していくのでどれもがバランスよく成り立ち自己実現していきたい。

 

そんな今回の気持ちに寄り添うのは「Yeah Yeah Yeah」(ハロプロ・オールスターズ)でした。

損得ばかりが全てじゃないがポイント期限が切れたらなんかイラっとね

 

イライラするのなぜだろう しんどいのに 気にしなきゃいいだけ、でも、気になるな

 

本音を話してみたい場面でぐっと堪えたのわかってほしい… 無理かな

 

誰かの良いとこ本気で褒められる私でいたい 人間も失敗するから学んでいくよ そうだろう

本当は誰より優越感の中浸ってみたい 人間って小さい生き物なんだと思うよ それでも生きるよ 生きなきゃね

 

は〜ハロ曲って人生。

まとめたから今日からまた頑張ります。ぐちゃってるしこんなもう輪郭かっすかすにかすめる程度の言い方で具体的なことがらは説明していなくてごめんなさい。それこそ私判定で恥に該当するようなことだから結局誰にも言えないので、こんなに遠回しに書いて消化するしかないなんて事になっているんだよね。読まされた人本当に実りのない内容ですまない。

 

なんかもっと楽しい事も書きたいのにね〜!次は何か良いこと書けるようにしたいです。

終わり