ゆれる

長めに喋る事〜!

そういうこともあるだろうよ

 

最近「人間の容姿」の捉え方がなんだかよく分からなくなってきてしまった。当たり前のようにあるルッキズムが怖い。

 

主観で申し訳ないけれど両親が容姿が良く社交的でかつナルシストな人たちだった。娘の私が二十代後半になる今でも、両親ともに人から容姿を褒められる事が多い。そんな親のもとで自然と容姿について褒められて育ち、その一方でずっとルッキズム的考え方も注入され続けてきた。自分たちの容姿、身なりに厳しい人たちであり、他人のそれらにも同じく厳しい人たちなのだった。「私ちゃんが可愛くうまれたのはパパがかっこよくてママが綺麗だったから。良かったね」と言われ続けてきたし、今でも言われる。

 

そんな環境にずっと何も感じず生きてきたけども最近はなんだか容姿に関する全てのことが怖くなってきている。

まず一つ目が、自分自身がそうやって褒められてきた自分の容姿について他人に評されるほどに良いと思っていないのでその温度差がつらい。気に入らないところや整形できるならしたいところもたくさんある。しないと無理、という程でもないし金銭的に他に優先すべきものがあるので施さないだけという状況。なので化粧や格好、髪型でカバーする訳だけど、身なりに厳しい家庭で育っているのでそういう外見ブーストを頑張ることは呼吸と同じで全く苦ではないのがまだ良かった。完璧に気に入ってるわけではない容姿にバフを盛って「まぁかわいいか、こんなもんかな…」くらいの気持ちで生きている。

 

二つ目が、正当な努力が軽んじられることがある点。例として挙げると小学生時代、私の成績がオール5だった時に「それは私ちゃんが可愛いくて先生に気に入られているから」という冗談を同級生の母親に言われたこと。冗談だとしても衝撃的すぎて今でもずっと覚えている。

 

少し似ているが三つ目、容姿によって何かが免除されている点。

成長してバイトを始めた際には後輩から「私さんは可愛いから皿を割ってもそんなに怒られない」と言われ、店長からは「お前の顔が可愛くなければこれまでのミスは許してない」と笑いながら言われる。これにはマジでどっちも泣いた。

 

続いて四つ目、容姿こそが私の一番と取り柄として言われる点。

これもバイト時代に言われたこと「この子は目が大きい事だけが取り柄で…(仕事はできない)」、社会人になってから言われたこと「もしお前が店頭で物を売っていたら俺はそりゃ喜んで買うけど、(この仕事は)そうじゃないんだからもっと頑張れ」など。うるせぇ黙れ。

 

これらが全部ミックスされると容姿が良くなければ他人に選ばれなかったという事実にぶち当たってそれがめちゃくちゃに怖い。

絶対的に見た目を人に好かれる事が多すぎて、自分の中身は他人に好かれる自信が持てない。好きと言われた時にどこが?と質問すると大概一番に「見た目」と返ってくる。一つ目に戻るがそこまで褒められる程自分で良いとは思ってないのでまずちょっとつらい。続くのが、「でも見た目が可愛いだけじゃダメ」で、見た目で判定されて通過できた後にも査定がある。当たり前の事なのにそれがめちゃくちゃ怖い。自分のことを棚に上げて他人を見た目から査定してるのも怖い。さらに三つ目に戻ると「私ちゃんみたいに可愛い子が言うわがままは可愛いけど、不細工な子に同じこと言われたら、は?ってなる」という考え。さらっと当たり前のようにそれを言われ、お前は見た目が可愛いからわがままが許されているんだという優遇と免除を「愛情」として突きつけられると本当に悲しくなってくる。

この人は私がこの容姿でなければ私を選ばないし許さないし愛情を持たないのだろうという事実がめっちゃつらい。この人はこんなに優しいけれど、相手の見た目によっては「は?」という冷たい対応をしている時もあるのだという冷淡さが怖い。付け入る隙がないというか。 

そこまでいろいろな事に大きく作用する容姿という要素が怖すぎる。人は見た目が9割との事。たしかにそうなんだろうし、見た目で判断をしない人もきっとたくさん居るんだろうけれど。

 

そして、これだけ怖い怖いと言っておきながら私自身も他人に対してこれまで挙げてきた、同じような事を無自覚にしていたり言っていたりするのだろうという事実が何より一番怖い。ルッキズムが怖いのに、どうやって抜け出せばいいのか分からない。そんな最近。