ゆれる

長めに喋る事〜!

なんだか自己嫌悪。

 

ここ最近で摂取したものいくつかと体感した事に重なる部分があったのでタイミング良いな〜〜っつーことでまとめたいと思います。

共通してたのが身体と精神の分離です。

 

まず最初は攻殻機動隊から。

f:id:kihayame162:20190211022840j:image

動画配信アプリでその時見放題で、昔父が見ていたのも覚えていてなんとなく見始めたのですが。アニメシリーズSACを一通り見終えたあとに一番最初の映画、「GHOST  IN THE SHELL 」と続編の「イノセンス」を見てその二編で描かれてた事がじわじわと後を引いてやってきてた。

描かれている事も多いし、怒涛の台詞で何回も何回も巻き戻して見たりしたのでこの映画達自体の感想を書きたいところもあるんですけど今回は体験との共通点で書いていこうと思うので攻殻機動隊の事はまた別に書くかも知れません。

元々の原作は漫画GHOST  IN THE SHELLで、アニメシリーズは設定とキャラを引き継いでエンターテイメント色をマシマシにして作られた別物なので取り扱ってる内容が難しめとはいえ素直に見てもほぼ内容はわかるようにできていて、それが凄いんですよね…細かいところは考察や解説調べたりしましたけど、調べればだいたいはこれまでのオタクたちが丁寧に説明してくれてます。ラッキーな世の中だな!

アニメシリーズ完走して

「少佐カッケ〜!!9課のみんなかわいい〜〜!!!」っていうテンションでもってそのままの流れで映画を見てボコボコにされてしまった。性質が全然違う…。受け取るもの、考える事の量も全然違う。

 

舞台が情報化電子化が進んだ近未来の世界なのですが導入部分での説明が素晴らしくて。

「企業のネットが星を被い、電子や光が駆け巡っても国家や民族がなくなる程情報化されてない近未来」

そんな世界で全身サイボーグの草薙素子さんのお話なわけですが、あらすじとかそういうのは調べてもらえればすぐわかるのでそちらでお願いします。

 

サイボーグは最初は人間で、体を機械にしてる人たちの事で、似て非なるものとして機械にAIを搭載されたアンドロイドが出てくるのですが。

全身サイボーグの人はもちろん脳も電脳なわけで、人間たり得る部分は能核のみ、それは攻殻機動隊のお話の中では「ゴースト」と呼ばれています。ゴーストがあるかないか、サイボーグとアンドロイドはそこしか違いがない事になる。さらに脳も電脳なのでハッキングも横行していてハッキングによる記憶操作もあり得る。(あのよく見る恐怖のキャプ画)

では、自分の記憶が本当に正しいかどうかはどうやって確かめればよいのか。自分は本当は擬似体験の記憶を植え付けられた人形かもしれない。どちらも証明するのは難しい。ゴーストすら人工で作り出せるようになってしまったらどうやって自分を自分だと信じられるのか、と素子さんは不安に思っている、そんな感じ。

 

自分が過ごしてきた記憶が肉体に紐付いてないのはどういう感覚なんだろう…自分という存在の依り代が能核のゴーストっていうそれだけしかないわけで…。物凄いもっともな不安だと思いました。肉体がなくなってしまったら私が私だっていう証拠がほとんどなくなってしまう、だから「物」って強くてそれだけで、物として質量を持って存在するだけでもう存在の証明になってしまうんだなと。だからアナログなものはいつまでもなくならないのだと。

まぁとにかく、攻殻機動隊では魂と体が別物な存在が自己の証明の定義について悩むというような内容なわけですが。

GHOST  IN THE SHELLを見てまず精神と肉体が離れてる存在について考え始めました。

 

 

そしてその次に摂取したのが大好きな長野まゆみさんの著作テレヴィジョン・シティ」。これもあらすじは説明しないので調べてもらえば。私の大好きな季節夏、魅惑的な少年たち、完全に管理された生活、近未来な世界…もうそれだけで好きじゃん。

で、(雑で申し訳ない)この話の中でも精神と肉体が離れる所が出てくる。あと記憶操作も出てくる。そのシーンにたどり着くだいぶ前から、「捨てるものが何もなくなったら先に捨てるのはボディかスピリットか」、というような文章が出てくるのでこの時点でドキッとしてしまう。

テレヴィジョン・シティでは存在の証明のために苦悩するのではなく、記憶を操作され同じ生を繰り返す存在の虚しさが描かれてるようなお話だと感じました。(再読すると変わるかもしれない…)

登場人物である少年たちはおそらく人間ではないので、もともと身体と精神の結び付きが強固ではないのかもしれない。それこそ攻殻機動隊におけるアンドロイドのような存在なのかもしれない。簡単に記憶を初期化や上書きされる描写もある。終盤では完全に身体と精神が離れて、むしろ自分の体に別人の精神が入っているのを傍観しているシーンもある。

この、「自分の身体から精神が抜け、自我は精神側にあって、抜け殻になった身体を見ている」っていう状況が、とても気になる。気になるー!

テレヴィジョン・シティでは少年同士が互いの精神と感覚を共有させる〈クロス〉という遊び?があって、やはり精神側だけを操作するのが容易なのだろうなぁと。

攻殻機動隊と同じく、この本を読んだ感想はまた別にまとめたい…。でもこの本でも「身体と精神が離れる」要素を摂取しました。立て続けなので不思議でワクワクするようなそんか感じ。得てしてこういう偶然は続くものなのかもしれない。

 

そしてこの2つを立て続けに摂取していた時に、我が身にもそれに似た体験が起こったので自分の中で驚きと発見が渦巻いてぐるぐるしていた。

具体的に書くのはちょっと避けたいのですが、自分が望まぬ事が進行していて自分の意思では止められなかったとき、止められない諦めからかスッと精神が身体から抜けていくような感覚がしました。これがとても不思議で、自分は当事者であるのに目の前で繰り広げられる事象がとても客観的に見えている状態。とは言っても感覚が肉体から離れられないため、視点が変わる事はなかったのですが、進行する事象に沿わず別の物を見ながら「この事象は果たして必要なのだろうか、この行動の意味とは?」と考えていました。

当事者だけども自分の意思で進行を止められない事象に対面したとき、少しでも当事者である事を回避したくて精神を一段階上に置いて俯瞰する事で、肉体は守れずとも精神だけは守っているような感覚がしたので、もうそれが自分のことながらに不思議すぎて!でもって、その時の自分の薄情さ、冷徹さが信じられなくて少し自己嫌悪をしてしまう程だった。誰かにとっての「良いこと、楽しいこと」が自分にとって精神を離脱させる真似事でその場をやり過ごそうとするような自己防衛みたいなはたらきが起こるほど「良くないこと、嫌なこと」になり得るという事実にもびっくりしましたけど…。

f:id:kihayame162:20190211014236j:image

↑その体験をした直後のツイート

(ボーリングは例えなので述べた体験ではないです)

 

この体験は本当にある意味自分で自分に傷ついたし、発見でもあったし、不思議だった。

更に不思議なのが、このブログにて5月にアイカツスターズ!五十嵐望の短文を書いてアップしているのですが、それも五十嵐望が「精神と肉体が離れてる」人として書いてある。5月というのは私が攻殻機動隊テレヴィジョン・シティに触れるよりも全然前で、今このブログをまとめていてようやく気付いたことで。

という事は、「精神と肉体が離れる」に対する興味関心は自覚するずっと昔から持っていたのかもしれない。不思議すぎる自分が。いつから?何を見聞きしたときから?全然思い出せない。

 

そして、一昨日くらいから急にFGOアルジュナくんというガン黒インドキャラにドキドキが止まらない現象が生じていますが、それもそのはずなんですよね。

 

f:id:kihayame162:20190211022646j:image

これはタイプムーンwikiアルジュナくんのページに掲載されてるポエム(原文がどこに載ってるのかが分からなくて申し訳ないです、、)なのですが、この青くラインしたところ。私が避けられない事象に対面した時の自分の薄情さ、冷徹さに絶望したのと似ている…。こじつけ乙って感じなんですけど、物事を冷めた目で見ている自分に絶望するっていう体験、本当に本当に悲しい気持ちになるし、繰り返しになりますが他の人が「良し」としているものや、他人からの「好意的な肯定」の現れであるような行為をも、遠くから冷ややかに見ている自分の恐ろしさたるや…。上文の、「愛し愛されているのに何処かでソレを冷めた目で見ている自分」に怯えている。それは親しさも飛び越えてしまうから怖い、好意的に思ってくれているからこそ共に何かする事に誘ってくれる知人友人親族、それでもこの薄情な客観視は発生する。共同で事を成してる相手の事が好きでも嫌いでもその客観視は起こり得る。だから怖くて、でもその事象に直面しないと発生するかどうか分からなくて、はじまったらもう止められなくて、居心地悪さを抱えたままそれらが通り過ぎるのを待っている。そんな自分が冷淡すぎて怖くなるし、そういう人間なのだから仕方がないやり過ごそうとこれまた冷静な自分もいるわけで。心から付き合えなくて、一緒に楽しめなくて、同じ気持ちになれないくせに行動を共にして、申し訳ないと思う。冷めた人間でごめんねと。

 

なんか予想外のところに着地したし、最後の方は興奮気味で文章も情動的に打っててボロボロで申し訳ないです…。後で直しているかもしれません。

とにかく摂取したものと、それに似たような体験と、似たものを感じて急激に気になりだした存在というセットでした。(アルジュナくんはそれとプラスして私の他のツボにもバチボコはまる要素がある)(謎の言い訳)

普段ならそのままやり過ごすことができるはずなのですが、こうも連チャンで来られると何かを示されてるのかもしれないと思ってしまったりする。摂取するものも最初からそのジャンル(?)だと知った上で摂ったものではないし、体験なんてこちらが予想だにしないタイミングで訪れるのが常で。

なんだか学びを得たような、自己理解が進んだような、そしてその分自分のどうしようもなさに打ちひしがれるような気持ちです。

 

こんなん人に読ませるような内容じゃないよね、ごめんなさい。このブログもあくまで記録として残しているものなので、未来の私が読み返したとき、こんな事に直面してこんな事を考えて苦悩していたんだなって笑えればいい。そして死ぬ前に絶対消してね。

 

以上ー!!!!!